専門家の声

臨床美術と認知症

臨床美術は認知症の進行をある程度遅くするだけでなく、彼等のWell-being(幸福感、達成感)を高めるリハビリテーション活動である。宇野 正威 氏 ーオリーブクリニックお茶の水顧問医師ー

上手な絵を描いてもらうことが目的ではありません

 認知症に対する芸術療法は、以前から多くの認知症医療の場で、あるいは介護の場で行われてきました。臨床美術はその一つで、すでに20年を超す経験を積み重ねています。これは、専門の教育を受けた臨床美術士が指導する美術活動で、上手な絵を描いてもらうことが目的ではありません。プログラムに沿って、基本的な描き方は指導されますが、対象から感じた、あるいはイメージした“印象や気持ち”を自由に描いてもらうことです。絵の中に感情を表現することは美術の本来の目的でしょう。

認知症、アルツハイマー病と臨床美術

 認知症、なかでもアルツハイマー病は、初期には記憶障害(新しい情報を憶えにくい)は著しいですが、「今、目の前にしていること」を理解することはできます。絵を描く過程でプログラムの内容を忘れ、何度も質問はするかも知れません。しかし、その場でなすべきことをよく理解し、技術的には普通の人と変わりなく、自分の気持ちを表現することはできます。

 アルツハイマー病は中期に入ると理解力の低下が進み、中期の後半に入ると、見ている対象の空間関係を捉えにくくなります。とくに、若年発症のアルツハイマー病の人はその症状が目立ちます。頭頂葉障害により、視空間認知機能が低下したためで、検査では図形の模写が苦手になります。そのため、対象の形がデフォルメされて表現されることが目立ちますが、それなりに魅力的で、その人の個性が表れていると思う場合もあります。この頃になると、対象を三次元空間の中で操作することも難しくなります。例えば、検査では積木をモデルに合わせて作らせるとその障害がはっきりします。しかし、土偶・工作などを皆さん喜んで行います。触覚を通じての立体感はかなり保たれているからでしょうか。このように、初期の頃から、絵画とともに、工作などのプログラムに慣れてもらうことは、症状の進行を少しでも遅らせる上で大事なことです。

 臨床美術に長く参加した人の経過を見ると、軽度認知障害(MCI)ないしは初期アルツハイマー病の段階で臨床美術をはじめた人は、症状の進行が緩やかになったように思います。しかし、アルツハイマー病は非常に難しい脳の病気です。この病気の進行を確実に止めることはできません。私が長く診た患者さんのほとんどはやはり少しずつ進行し、中期に入って行きました。中期に入ると、何らかの非薬物的介入をしないと比較的早く後期にまで進行してしまいます。また、不安、焦燥、妄想、徘徊などの行動と心理症状が出現しやすくなり、生活の質(QOL)を落とします。しかし、臨床美術に参加している人たちは、中期の段階で精神的にも比較的安定し、美術活動を楽しんでいました。

 このように、臨床美術は認知症の進行をある程度遅くするだけでなく、彼等のWell-being(幸福感、達成感)を高めるリハビリテーション活動であるといえるでしょう。

宇野 正威 氏 ーオリーブクリニックお茶の水顧問医師ー